未来を拓く:おもしろい授業?おもしろい研究

明治時代の俳句をたずねて

 一言に文学研究といってもアプローチは様々です。私が専門とする近代俳句でも、句の解釈や鑑賞、評価はもちろん重要なのですが、それだけが研究のすべてというわけではありません。私の場合、主な研究対象は「俳句」というよりも「俳論」や「俳句雑誌」といった方が正確かもしれません。

 特に重点的に研究しているのが、俳句が「文学」としての地位を確立した明治時代です。正岡子規は江戸時代からの流れを汲む俳諧宗匠らを批判し、俳句を「感情」に立脚した「文学」として価値づけるのに大きく貢献しました。そうした新たな俳句の流れは「新派」と評され、なかでも新聞『日本』で活躍した子規たちは日本派と呼ばれます。近代俳句の研究では子規ら著名な俳人の句や功績が注目されがちですが、特定の人物が無批判に尊重され続けるなかで、評価が一人歩きしていってしまいます。それらの人々は当時どのような文脈で発言していたのか、何を学んでいたのか、同時代にどう評価されたのか、そのことが後の別の俳論とどう関わるのか。私の研究はこうした疑問から出発しています。

 もっとも、こうした明治期の俳句雑誌はどこでも見られるわけではありません。近年では国立国会図書館デジタルコレクションをはじめ、インターネット上で閲覧できる資料が大幅に増えましたが、明治期の雑誌をまとめて閲覧できる機会は限られます。そのため、比較的多くの俳誌を所蔵する天理大学附属天理図書館などの施設に足を運んだり、古書店で出回っていないか確認したり、時には俳人の遺族などを訪ねたりしながら研究を進めています。

 ところで、ここ富山にも明治俳句の足跡が刻まれています。明治30年に子規門下の河東碧梧桐が北陸を旅行するのですが、そのときに訪れた高岡で俳句結社、越友会が誕生します。もともと宗匠系の旧派だった寺野守水老をはじめ、山口花笠や筏井竹の門など、今日ではあま知られていない現地の人々が中心メンバーでした。同時代の俳句雑誌にはこの会に関する記事や句会報が散見し、活動の一端を伺い知ることができます。また、守水老が住職を務め、句会の会場にもなった西光寺(高岡市和田)も現存していますし、富山県立図書館が所蔵する県内の新聞にも俳句を確認することができます。こうした地域と近代俳句の結びつきを探るのも、私の研究の重要なテーマの一つです。